【夜葬】 病の章 -3-
白髪の老人は、ふむ、と一言発し、顎に蓄えた髭をひと撫でする。
さきほどの村人とは違う目で黒川親子を見つめると、「まあこんな時代じゃからの。結核にかかっちまえば死んじまうだろう」そう言って鉄二を見た。
「坊主。腹ぁ減ったかい」
「うん、減った。背中と腹がぺったんこになりそうだ」
老人は鉄二の返事に微笑むと、背後で様子を伺っている村人の男に声をかける。
「おい、この子に赩飯(あかめし)で握り飯作ってやれ」
「え? しかし、船頭さん……そんなどこの馬の骨か分かりもしねぇ連中に……」
「やかましい! 子供は宝じゃろうが。いつ【福祀り(ふくまつり)】で捧げなきゃなんねぇかわかんねぇじゃろ! この村に子供は多い方がいいに決まってる」
いくつかよくわからない言葉を使い、船頭と呼ばれた老人は渋る村人に一喝した。
村人はというとそんな船頭に気圧され、大人しく屋敷の中へと引っ込む。
「すみません、どうも。うちの倅のために」
「いやあ、いいんじゃ。子は鎹(かすがい)というからな。時に……」
元を見つめながら、言葉に詰まった船頭を見てなにに詰まっているのかを察した元は慌ててお辞儀をする。
「これは失礼。わしは黒川っちゅうもんだ。名は元。こっちは倅の鉄二」
「そうかい。それじゃ黒川さん、時に聞くが……死んだ女房ってのはなんて名前だい」
「小夏。確か旧姓は三舟って言うていた」
「おお、三舟んとこの娘か! そうかそうか、言われてみれば坊主の目元に面影があるわい。しかし、それならまだ若かったろう。かわいそうになぁ」
船頭にそう労いをかけられ、元は思わず死んだ妻・小夏の在りし日を思った。
――思えば、短い夫婦生活だったなぁ。
小夏が死んでから、目まぐるしく毎日が過ぎ、その日生きることだけに精いっぱいだった。
生まれつき喘息の気があった鉄二を看病しながら寝ない日もあった。
なぜ自分だけがこんな目に、と小夏を恨んだことも。
しかし、こんな山奥で自分と鉄二以外に小夏を知る人間と出会い、元は初めて小夏のことを懐かしく思い出すことが出来た。
「三舟のところはなぁ、名前を表しとるように三姉妹の娘がいてな。小夏はその末っ子じゃった。女子なのに泥遊びと八走(やそう)が得意だったのをよう覚えとる」
船頭の述懐に元も思わず目頭が熱くなる。そういえば、男勝りな性格だったと生前小夏は言っていた。鈍振村は子供が少なかったから、喧嘩はすぐに一番になれたとも。
「あんなわんぱくな、じゃじゃ馬が結核にかかっちゃコロっと逝っちまうんだか残酷なもんじゃ」
詰まる言葉で「ええ……」と答えるのが精一杯の元が、腰の高さしかない鉄二の頭を撫でる。
「持ってきよったぞ。握り飯じゃ」
そこへさっき屋敷の奥へ引っ込んでいった村人と、中年ほどの女が笹に大きな握り飯を乗せてやってきた。
目を輝かせて村人が持ってくる握り飯に喜ぶ鉄二と、そこまではしゃがなくとも喜びを隠しきれない元。
だが二人はすぐに言葉を失った。
「あらぁ、本当にちっこい子だなぁ。舟木んとこの削平と同じくらいの歳かい」
ニコニコと人懐っこい笑顔と、ふくよかな体格の女が二人の前に盆を差し出す。
炊き立ての白米の何とも言えない甘い匂いが、鼻を通って直接胃に食欲を働きかけるが、それに飛びつかなかったのは理由があった。
「父ちゃん、この握り飯。なんで赤いの?」
「あの……船頭さん。これは?」
二人が思い描いた眩いまでに輝く白い飯とは遠くかけ離れた、赤いにぎり飯。
強い空腹にも関わらず、手を伸ばすのを躊躇わせるほど異様な外見だったのだ。
「ああ……そうだそうだ。(山の)下の奴らは知らないかぁ? これはな、【赩飯】っちゅう【どんぶりさん】の飯を握ったもんなんだぁ。無病息災のご縁があるから、おめぇら運がいいよぉ」
船頭の代わりに答えたふくよかな女。
親切に教えてくれたことには感謝しつつも、説明を聞いてもまったく意味が分からない。
「みつえの言ってる通り、【赩飯】を食えるのは運がいいぞ。あんたらにとってもこれはいい兆しなのかもしれん。さぁ、遠慮せずにおあがり」
そう言って船頭は盆の赤い握り飯を一つ取ると、それを鉄二に渡してやった。
「いただきます」
見た目にぎょっとした鉄二だったが、赤い以外はどこを見ても普通の握り飯と変わらない。
優しそうな船頭や村の女を見て安心した鉄二は、大きく一口で被りついた。
「美味しい! んぐ、むしゃ……」
美味そうに頬張る鉄二を見て、元もまた握り飯に手を付けた。
「じゃあわしもお言葉に甘えて」
一口目を頬張った元の感想は、『美味い』だった。
やや強めな塩味が、疲れた体に染み渡る。見た目こそ悪いが、それ以外なんの変哲もない。
――わしの杞憂だったか。
そう思いながらかぶりついた二口目。
元はようやく違和感に気が付いた。口の中で咀嚼するたびに鼻から抜けてゆく生臭い匂い。
噛めば噛むほど生臭さは増し、そして錆びた鉄のような味が舌に滲みる。
元はその味がなんの味なのか、覚えがあった。
だがまさかそんなものを飯に混ぜ、握るはずがない。
ふと浮かんだ仮説だったが、到底信じられなかった。
「ゆっくり食えや。ゆっくり食え」
ニコニコと笑って二人を見守る船頭と村人。
見れば、鉄二は口の周りを真っ赤にしながら握り飯にがっついている。あまりの空腹に味の異変に気が付いていないようだった。
「うぷっ」
こみ上げてくる胃液。この体中が拒絶する感覚で、元は確信した。
――間違いない、こりゃぁ……血だ! 飯に血を混ぜ込んでやがる!
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